
こんばんは、rincoです。今回はわたしの人格形成の根本となる生い立ちについてご紹介します。
モラハラが日常家庭で育った幼少期
わたしが男性嫌いになった要因のひとつは父親にあります。現在は孫と平和に遊ぶ一般的なおじいちゃんですが、振り返るとわたしの父はなかなかのモラハラ人間でした。
自宅開業で小さな療術院を営む父は『オレ様感』がとても強く、自身を敬うことを強要し、一切の口答えを許しませんでした。マイルールが強く突発的に癇癪を起こすこともあり、怒鳴り散らすことは日常茶飯事。殴られたことこそないものの、物を置く音やドアを閉める音などで不機嫌を示すことが多く、彼が同じ空間にいるときは常に神経を張っていました。
母への態度も互いを尊重したり慈しむどころか対等な関係性ですらなく、『先生と呼べ』『誰のおかげで生活できると思っている』という、典型的なモラハラ発言の嵐。自身の権威性をここぞとばかりにアピールしていました。

ドラマの中に出てくるような典型的なモラハラ野郎ですね
父本人に非があるというよりも、こういった歪んだ人間性はおそらく育成環境によるものだと思われます。自力で抜け出すことが困難な負の循環ですね。
わたしの前では穏やかだった祖父も、父や叔母が幼いころはしつけと称して物差しで打つなどの体罰が頻繁にあったようですし、祖母は聡い人ではありましたが昔ながらの男尊女卑思考だったため、息子である父をひたすら甘く育ててきたと聞いたことがあります。
療養院へ進む道も環境も祖母が用意したもので、障害は事前に取り除き、歩む道は全てつつがなく用意してあげる。『転ばせない教育』が祖母なりの愛でした。

そんな祖父母と同居での生活ということで、肩身の狭かった母からは毎晩のように愚痴を聞かされていた時期があります。こどもに親の悪口を聞かせるなんて!というご意見もあるかとは思いますが、今のようにSNSが発達した時代ではありませんし、県外から単身で嫁に来て身近に話せる友人すらいなかった母の孤独を思うと致し方ないのかもしれません。
“女性の自立”を熱望する原点
教育上よくないこととわかっていながらも、姉とわたし、2人の娘たちに吐露するしか心の保ち方を知らなかった母。こどもながらに無力さを感じたのを覚えています。
逃げればいい、抜け出したらいい、言葉こそ覚えていませんが当時そんな趣旨のことを言ったわたしに『あんたたちがいるからそれはできない』と言った母の言葉は『こどものせいで諦めるしかない』という意味合いに変換されて今でもわたしの中に残っています。
このときの無力感こそが、現在に至るまでわたしが『女性の自立』が必要だと強く思うきっかけとなっています。自身が自ら立つ強さを身につけることや、同じ悩みを持つ方の力になることが、当時の母への償いのような気持ちなのかもしれません。

そして同時に、自分が母になったときはこどもを理由に何かを諦めることはしない、と強く思うようになりました。行動するもしないも、全ての理由は自分の中に持とう、と心に決めました。
繰り返される負の循環
ここまでお読みいただいた方であれば、わたしが将来選ぶ男性はきっと父とは真逆の人間性であると思うのではないでしょうか。反面教師という言葉がありますし、わたし自身そのつもりでした。
『わたしは父親みたいな人は選ばない』
思いやりがあって対等な関係性を築き、認め合い、尊重し合える。そして共に穏やかで楽しい時間を過ごすことができる。そんな相手を選んだつもりでした。ですが約20年を共に過ごしたのちに離婚という結論に至った際に、母から言われた一言が衝撃でした。

初めての挨拶のとき、お父さんみたいな人を選んじゃったんだなって思ったよ
『先に言ってよ!』と茶化しつつ、反面自分が恐ろしかったです。負の循環の呪いがあまりに強固なものだということを痛感したひと言でした。それまでは威圧的な男性が嫌いという認識でしたが、所詮男なんてみんな威圧的で女性をないがしろにする生き物なんだ。と男性への偏見がいっそう強くりました。
次回は【嬢の生い立ち②女性としてのトラウマ】へ進みます。お読みいただきありがとうございました。